会社を辞めてフリーランス(個人事業主)を選択したキッカケ・理由
更新:2017-11-11
夏休み空けの9月1日は「学生の自殺者が多い」という記事を読みました。
「なるほどなぁ〜」と共感しつつ、僕にも「会社に行きたくないなぁ〜」という気持ちになることが多々あることを思い出しました。
その気持はフリーランスとなった今でもありますが、正社員時代は週に1回くらいのペースで感じでいたことを考えると、あのままサラリーマンを続けていたら僕もどうなっていたかはわかりません。
こうして振り返ってみると、サラリーマンからフリーランスへの転身は正しい選択だったと思えたりします。
僕は2014年9月に会社を退職し、フリーランス(個人事業主)としてのキャリアをスタートさせました。
この記事を書いているのが2017年9月になるので、今からちょうど3年前になります。
今はWebディレクター、プロジェクトマネージャーでお仕事を請け負っていますが、フリーランス一発目の案件は、当時はまだ勢いのあったパララックスデザインのサイトでJavaScriptをガリガリ書くという制作作業でした。
う〜ん、懐かしいなぁ〜
そんなことを思い出しながら、「自分がなぜフリーランスを選択したのかを書いてみよう」という気になったので、本日は僕のフリーランスになったキッカケ・理由について紹介したいと思います。
フリーランスになる前
フリーランスになる前は、当時のWeb制作業界ではトップ5に入る会社で働いていました。
この記事を書いている現在は、メン○ーズが東証一部上場するなど景気のいい話を聞きますが、僕が所属していた会社は、、、まぁご想像におまかせします(汗)
その会社に5年半ほど在籍し、Web屋のプロジェクトマネージャー、ディレクターとしてバリバリ働いていました。
仕事量で言うと毎日終電帰り、休日対応は当たり前、パソコンは持ち帰りOKで深夜・早朝対応も厭わない。。。
僕の毎月の稼働時間は250〜280時間くらいでしたが、公開直前やトラブル対応などがあると月300時間は普通に超えていました。
これは、僕がシステム案件のプロジェクトばかり担当していたことも起因しますが、けっこうな社畜だったと思います。
ちなみに裁量労働制だったため、残業代は毎月30時間の見込み分のみで、それ以上の支払いはありませんでした。
とまぁ、SI屋やWeb屋、広告代理店あたりはブラック企業が当たり前だし、社畜でないと勤まらないので、この点については特に不満を感じているわけではありません。
むしろ、インタプリタ系のプログラミングやマークアップエンジニアのスキルしか持っていなかった僕が、短期間でディレクター・プロジェクトマネージャーに成長できたのは、この異常な労働環境だったからこそと言えるので、感謝すべきかもしれません。
でも残業代くらいは欲しかったな。。。
あ、いや残業代が出てたらその給料で満足してたかもしれないので、やっぱ裁量労働制で良かったかもしれません。
会社を辞める決意
結婚生活も2年たち、そろそろ子供がほしいという嫁さんの希望もあり、僕の人生も見直すこととなりました。
いろいろ考えた結果、「会社を辞める」という結論に至ったので、その理由について触れていきます。
仕事優先か家族優先か
僕が勤めていたWeb制作会社は独身が多く、離婚率も高かったので、結婚生活に向いていないことはわかっていました。
毎月に300時間近く働いていれば、そうなりますよね。。。
これは僕の個人的な見解ですが、大手企業から直契約で受注していたので、個人では到底関わることのできない仕事を任せてもらえるので、やりがいがあって楽しいのですが、家族に理解してもらえないのではないかと思っています。
いづれにせよ、この勤務時間を見直さない限り、夫婦生活はともかく、子育ては難しいと考えていました。
このWeb制作会社で働く上で、長時間勤務を改善できれば良いわけですが、自分や考えるソリューションにシステムが絡むことが多いこと、相談される案件がシステム案件メインであることを踏まえると、トラブル対応など突発的な事象を除いても、働く時間が長くなることは避けられません。
わかりやすい例として、本日中にFIXしなければならい事項がある重要なMTGがある日に限って、嫁と子供がインフルエンザ。。。なんて場合に、仕事と家族のどちらを優先するかといったら、僕は間違いなく家族を優先します。
当たり前のことなんですがね。どうも日本人は真面目なので、仕事と家庭とで優先順位を間違えている人が多いと感じます。
そうなった場合、トラブル対応は別のメンバーが担当するわけですが、残念ながらそのWeb制作会社は、システムに明るいリソースが少ないため、残されたメンバーがわからないなりに頑張る事になります。ですがスキルセットが足りないので努力だけでは対処できず、実際は僕が動けるようになるまでストップとなることが多いです。
これは、社内にシステムディレクターが育たない環境であることが改善されない限り、期待はできません。
プロジェクト単位で考えれば、突発的な事象なので「起きた時になんとか踏ん張る」でも良いのですが、、僕が今後も関わることが多いであろうシステム案件では同じことが起こります。
さらに「システムディレクターを育てる」ことでの解決も考えました。それは、「ディレクターの教育に力を注ぐことで自分の働きやすい環境を作ること」を指しますが、僕自身ディレクターとしてまだ成長段階にあることを考えると、自分で環境を作るよりは「環境を変える」ことで、やりたいことを実現する方向に着地しました。
上司が昭和の頑固親父
入社当時は同じチームで働くメンバーだったのですが、組織変更のタイミングで僕らの上司となり、大きな案件では必ずと行っていいほど一緒に仕事をした方がおります。
この方は、仕事に対してはかなりストイックな考え方を持っており、
やりたい仕事があるなら奪え、オレはそうしてきた
というザ・叩き上げで、自分の考えを相手に求める指導をする、昭和の時代を彷彿させる人物です。
そんなわけで、僕も他チームから案件の相談が来た時は「おっしゃ、やったるか!」として、提案から参画する形で仕事に携わろうと思うわけですが、
- 上司は、プランニングのタスクが終わったら「他の案件があるから後はよろしく」とフェードアウトするので、僕は公開まで面倒見なければならず、目の前の案件を遂行することが最優先になる。よって、相談を受けても片手間になるため、低い稼働でしか関われない。
- ちょうど僕が暇になる噂を聞きつけ、僕に案件の相談をしたいという別チームの依頼を「もうアサインしたい案件がある」ということで、僕に話をすることなく勝手に断る。。。
なんてことが幾度も続いたので、
結局アンタのやりたいこと実現するために、オレが犠牲になってるだけじゃねぇか
ということで、さすがに我慢の限界を迎えてしまいました。
下流工程の丸投げにウンザリ
入社当初の仕事ができないころは、制作ディレクションしかできず、仕事を選べる立場にないため、下流工程の丸投げは仕方のないことだと思ってました。
ただ、情報設計をはじめ上流工程の仕事ができるようになってからは、下流工程からのアサインは正直にいうと嫌でした。
自分が不在のプランニングフェーズでは、クライアントと共に和気あいあいと協議・議論されたものが、ある日突然プロジェクトキックオフミーティングで共有され、体制図の制作ディレクターの欄に自分の名前があると、それはもう、やる気など起きません。
「実現したいと思うやつがやればイイじゃん」という僕の心の声はどこにも届くことはなく、プロジェクトはスタートされます。
悲しいかな、サラリーマンなのでわがまま言えず、そんな仕事でもありがたくいただき、我が子のように大切にプロジェクトを推進します。
そんなかわいい案件が無事公開を迎え、クライアントの厚意で打ち上げが開かれるのですが、その席には上流工程にのみ関わったプランニングのメンバーも顔をだし、クライアントと企画の内容を楽しそうに会話がなされます。そんなメンバーの姿を見ると、「めんどくさい工程だけ丸投げしやがって」という意識が頭のどこかにあるので、顔に出すことはありませんが気分はよくありません。
僕に力がないと言ってしまえばそれまでですが「システム案件に強いディレクター」でブランディングされている以上、会社内で同じ強みを持ったディレクターが育たない限り、僕の役割は変えることが難しいのも事実です。
こうして振り返ると、会社がシステムに強いディレクターが育たない環境であることに起因した退職理由は、最初の理由と同じですね。
新人の育成
これは、僕が会社を辞める一番大きなキッカケになりました。
実は案件で手が足りない時に、リソースの相談をしたところ、当時、事業部長が採用した問題のある新人がアサインされることになりました。
僕も最初は仕事ができなかったので、アサイン前から諦めることはせずに、一旦トライしてみようということで、正式に僕のプロジェクトに参画する事になりました。
詳しい事象にはふれませんが、この新人が本当にどうしようもないくらい仕事ができないために、僕の教育コストだけがかかることが如実になったので、「もう無理です、案件から外したいです」という相談をしたところ、「今後のキャリアプラン的に人材の育成もしておいたほうが良い」ということで、引き続き面倒を見なければならないことになり、作業負荷の軽減の相談をしたのに、逆に仕事が増えるという意味の分からない状況になりました。
その後も何度か相談しましたが、意向は変わらないため、最後は僕が諦めました。
まぁ僕の意向を飲めば、この新人の面倒を事業部長が見ることになるので、気持ちはわかりますけどね。。。
なお、この案件が終わった後はちゃんと評価され、給料が上がりました。でも正直に言うと金なんかいらないのであの時の負荷をなんとかしてほしかったです。そのくらいキツかったです。。。
この出来事は退職の決意だけではなく、「人材の教育はしない」と決意させてくれたキッカケにもなりました。ディレクターの教育については、Webディレクターの教育、教育に期待されていることを参照
どうしてもやりたくない案件があった
僕はディレクター・プロジェクトマネージャーは、「我慢と妥協」ができることが重要であると考えています。
そんな僕ですら、「もうコイツの態度は無理!」という酷すぎるクライアントがいました。
その企業は、某飲食チェーンのWebマーケティングの部署の方でしたが、口の利き方やメールの文章も酷い上に、土日休日でもお構いなしに連絡をしてきます。さらに、夜20時ころに電話を掛けてきて「こんなことやりたいとおもってるから、明日までに資料作ってもってきて」なんてオーダーを平気でしてくるのです。
受発注の関係を良いことに、「金払ってるんだからやれ」というオーラ全開で、少しのミスがあると、鬼の首を取ったかのように叱責してくる、今でも顔を思い出したくない最悪のクライアントでした。
(正確には、クライアントの一部のメンバーですね。全員が同じ態度ってわけではありません)
こういうクライアントに限ってFacebookで友達申請してくるんですよね。。。一体なぜなんでしょうか???もちろん、承認しないのですが、どういう気持で申請するんでしょうね。
上司には、案件を外れたいと申し出てみても、「こんなに大きな企業のビジネスをサポートできる環境にいることは素晴らしいことなんだよ」と至極当たり前の正論で説き伏せてくるので、次第に交渉することも諦めました。
このクライアントとは2年ほどお付き合いをさせていただきましたが、「お客さんのために良い提案を」なんて気は一切なく、残念ながら「もう顔も見たくない」と思いながら仕事を続けていました。おかげさまで相当なことなら我慢できるというスキルが身につきました。
まとめると
「今の労働環境では家庭を優先することができなさそう」「上司についていけない」「嫌なクライアントの案件から外れたい」が原因ですね。
1点誤解のないように触れておきますが、上司のことを悪いように書いていますが、ビジネスマンとしてはリスペクトしています。この方がいなかったら今のフリーランスとしての成功はあり得なかったと思えるくらいの存在です。
一方で、残念ながら同じような価値観で働くつもりは一切ないので、僕は僕なりのやり方で仕事に向き合っていこうと、決意させてくれた方でもあります。
では、会社を辞めてフリーランスを選択した理由について紹介します。
なぜフリーランスを選択したのか
上記課題がクリアになれば、会社を辞める必要はなかったですし、条件がマッチする別の会社への転職でも良いわけですが、そうせずにフリーランスを選択した理由について説明したいと思います。
一緒に働いていたフリーランスがラクそう(後で勘違いと分かる)
とある案件で画面設計(ワイヤーフレーム)を書く作業を、情報設計を専門としているフリーランスの方にお願いしていました。
このフリーランスには結構な金額で発注していたのですが、大した考えもなく、かつあまり攻めることもなく無難なワイヤフレームをアウトプットしていたので、正直、「なんでコイツをこんな高い金額で発注したのかが理解できない」と思っていました。
実際、クライアントからの合意が得られなくて、持ち帰って方向性を検討するときも大したアイデアはなく、「先方の考えがちょっとわからないね。。。」と言うだけで、僕らの判断待ちとあることが多く、「お前の考えとか提案ってないわけ?」とヤキモキすることがありました。
僕的には、この程度なら「オレがワイヤー作ったほうがマシだわ、逆にコイツをディレクションするほうが手間かかるんですけど」と思うほどでした。
ところが、この記事を書いている今、それは勘違いだったと気がづきました。
というのも、先に挙げたフリーランスの情報設計のスペシャリストがたいしたことが無いのではなく、僕自身に情報設計のスキルが身についていたからだったのだとわかったからです。
数社の事業会社で、画面設計を含む上流工程の仕事をこなし、その中で多くのUX/UIデザイナーと一緒に仕事をしてきました。
人間中心設計専門家として認められた今だからこそ言えますが、UX/UIデザイナーと名乗る人たちは、画面をビジュアル面でデザインすることはできますが、情報設計を理解している人はほとんどいません。
さらに僕は最近では、ワイヤーフレームを書くことはほとんどなく、他メンバーが作ったアウトプットをレビューすることが多いですが、同じような視点でアウトプットを評価できる人にであったことはありません。
そういう経緯もあり「フリーランスってラクだなぁ〜」と思ってたコイツとは、今では数少ないサシ飲み仲間です(笑)
上司がいなくても仕事の相談が来るようになった
僕はプログラマー出身のディレクターなので、制作フェーズのディレクション、それも基幹系のシステムが絡むような案件などもこなしていました。
システムに強いディレクターは、社内に限らずWeb業界全体でも不足していることもあり、なにかにつけて相談がありました。
次第に、上司を経由することなく、直接僕に対して案件の相談が来るようになり、関わりたくない案件を抱えていた時は、コンペなどスポットでのサポートであれば全体的に協力しますよ的なスタンスで臨んでいた時期もあります(関わりたくない案件を剥がすための抵抗ですね。無意味でしたけど、、、笑)
結果論ですが、そのような相談があるということは「自分自身の需要がけっこうある」のだという自覚にもつながりました。
実際に市場価値的にも高いようで、フリーランスになる前に登録した転職エージェントから高評価をいただけましたし、何より外注先として利用していた仲の良いパートナー会社の方から、いまだに制作ディレクターとしての相談を頂いたりします。
(いつも単価があわなくて断ってますが、、、すんません)
飽きっぽい性格
Web制作会社であれば、会社単位で長い付き合いをしているクライアントであっても、マンネリ化を防ぐために、長くても2年ほどで、担当の変更があります。
つまり、いろんな事業会社の案件に関わることが可能なので、飽きるということはなく、新しいクライアントに関わる上で、業界のことなど新しいインプットを常にしていく必要があります。
そのため、事業会社よりはWeb制作会社に所属したほうが、飽きっぽい性格の自分にとってはピッタリです。
実際は事業会社でも部署異動なのでジョブローテートをしているので、ずっと同じ仕事をするとは思ってはいません。とはいっても自社のサービスに限定されたローテートでしかないので、自分には向いていないと感じていました。
ただ、先に挙げたとおりWeb製作会社はかなりの激務になるため、条件にあう会社を見つけることが難しいですが、業務委託として事業会社に常駐して働くことで、飽きっぽい性格でも働けるのではと思いました。
実際、僕はWeb製作会社時代に、クライアント先に常駐し、お客様が実現したいことを役員会などに上申する資料作成のお手伝いをさせていただくなどもしていたため、大きな案件単位で事業会社に常駐して働くということに妥当性を感じていました。
「飽きてきたら辞める」だと言い方が悪いですが、案件単位でお仕事を請負ってイメージですね。
まとめると
フリーランスはラクそう(後で誤解と分かる)で、自分のスキルに需要があることがわかったので、会社の看板がなくても仕事はくると思い、事業会社に常駐して働くフリーランスなら、飽きっぽい自分にも勤まるのではないかと考えた次第です。
こうしてみると、飽きっぽい性格の部分については、性格を見直すという方法もありましたね。。。
でも30代後半で、性格を変えるのもかなり難しいと思うので、結果良しとしましょう(汗)
最後に
実は、会社を辞める直前に嫁さんの妊娠が発覚するなど、なかなかのプレッシャーがありました。
いろいろ心配事はありましたが、結果としてうまくいきました(笑)
9月1日に学生の自殺者が増える話からずいぶんと膨らみましたが、サラリーマンも人間なので例外ではありません。
今の会社が嫌で嫌で仕方ない方は、無理してその会社で働くことにこだわる必要はなく、フリーランスという選択肢もあるのです。
もちろん誰にでも成功できるわけではなく、他社に売り込めるだけのスキルを有していることが前提になりますが、サラリーマン生活が苦痛で仕方ない実力者は、フリーランスという道も検討すると新しい人生が開けるかもしれません。
多少スキルが足りていなかったとしても、死ぬほど嫌な仕事であれば、とりあえずやめてしまってもなんとかなります(ちょっと無責任ですかね・・・)
長くなってきたので、この辺で締めたいと思います。
最後に、自分の体験が「フリーランス」という働き方を選択できる方にとって、参考となれば幸いです。
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